コルナゴ部長こと中尾公一さんから最新レポートが届きました✨
地元へ寄り添い、継続的な支援の絆を届ける「氷川町復興ライド」の視察と第一歩。
令和8年熊本地震で甚大な被害を受けた氷川町を訪れ、被災家屋や仮住まいの現状を視察するとともに、地元で復興活動を続ける人々や住民との対話を通して「走ることへの温かい歓迎」を確認。
特産の梨マラソン中止など日常が失われた地域において、当事者の不安に寄り添いながら特産品購入やSNS発信を通じた継続的な支援の必要性を再認識しました。
安全面を考慮して11月22日は信頼できるガイドメンバーを中心とする「第一歩」のライドとし、当日の「交流会」や翌日の「みかん山ライド」は、一般の方の参加を呼びかけ、息の長い復興支援の輪を広げていきます。
ぜひご覧ください🎵
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2026年7月28日16時27分、熊本県でマグニチュード7.1の地震が発生した「令和8年熊本地震。
宇城市と氷川町では震度7を観測し、国内で震度7が記録されたのは、2024年の能登半島地震、そして2016年の熊本地震以来、10年3か月ぶりのことだった。
その被災地の一つである氷川町で、私たちは今年の11月22日(日)に「令和8年熊本地震復興ライド」の開催を計画した。
自転車で町を訪れ、募金や現地農産物の購入、SNSでの情報発信などを通じて、復興を一度きりではなく継続的に応援していくことが目的だ。
ただし、被災した地域を走ることが地元の方々にどのように受け止められるのかを確かめる必要がある。
そこで、現地の状況を見て、地元の方々の率直な声を聞くために氷川町を視察した。
9月4日、元熊本パティシエ養成スクールの校長で、現在は道の駅阿蘇の牧野ガイドを務める清田あづささん、道の駅阿蘇駅長の下城さん、そして私の3人で、熊本地震により大きな被害を受けた氷川町を訪れた。
今回の視察は、清田さんが北タイ在住時に知り合った元プロロードレーサーの宮澤崇史さんから、「自分にできる復興支援として、被災地のみなさんに自転車で元気を届けたい」という相談を受けたことがきっかけだった。
その思いを現地の方々に直接伝え、復興ライドを実施することについて率直な意見を伺うため、私たちは氷川町へ向かった。
氷川町を訪れることになったのは、清田さんの知人で、町内で復興活動に取り組むNPO法人九州災害復興支援リーダーズサミット代表の原田秀夫さんに相談したことがきっかけだった。
原田さんは全面的に協力すると申し出てくださり、現地の方々を紹介していただけることになった。
さらに、清田さんが2016年の熊本地震の復興支援を通じて知り合った氷川町在住の南崎明美さんも、地元で災害支援に携わっておられた。こうしたつながりから、私たちは氷川町で現地の状況を見て、地元の方々の声を直接聞かせていただくことになった。
宮澤さんは、被災地を自転車で走ることが、現地の方々に不謹慎だと受け止められる可能性があるなら、走る場所は阿蘇や天草など別の地域でも構わないと話されていた。
大切なのは、こちらの思いだけで進めるのではなく、まず現地の方々の気持ちを聞くこと。
そして、その声を踏まえたうえで、復興につながる形を一緒に考えていくことだった。

道の駅竜北駐車場(7月31日撮影)
原田さんとの待ち合わせ場所は、地震で大きな被害を受けた道の駅竜北だった。

道の駅竜北館内(7月31日撮影)
道の駅竜北では、氷川町産の果物を使った加工品も販売されていた。
しかし、地震の影響で通常どおり販売することが難しくなっていた。
このままでは賞味期限を向かえてしまう。
そこで、その商品を道の駅阿蘇をはじめ県内の幾つかの道の駅でも販売し支援につなげていた。
今回、下城さんはその商品の受け取りも兼ねて道の駅竜北を訪れた。

原田さん(左)は、氷川町の住民に対して、ブルーシートや食事の提供、建物の片づけ、メンタルケアなど、継続的な災害支援と復興支援活動を行われていた。
清田さん(右)に伝えた「全面的に協力する」という言葉は、原田さんにとって復興支援活動の一つとして捉えられていたようだった。
原田さんはすぐに、「まずは被災地の状況を車で見て回り、現地の方を紹介しましょう」と私たちは現地視察へ出発した。
私は被災地に行くのは初めてだった。
まずここに来るまでの高速道路では、益城熊本ICを過ぎてすぐに小さな段差が感じられ、松橋ICに近づくにつれて段差は大きくなり、その数も増えていった。
氷川町に入ると風景は一変したが、国道3号線の被災箇所は新しく舗装されていた。
道の駅竜北から裏側に出ると田んぼが広がっており、道路は凹凸があるもの車は通れるように復旧されていた。
原田さんによると、震災直後はマンホールが飛び出して通行が困難だったそうだ。

走り出してすぐ、崩壊した家屋が連続して目に入った。
道路に崩れ落ちた建物や塀はきれいに撤去されていたものの、震災からすでに1か月以上が経っているにもかかわらず、貴重品だけ取り出した家屋はそのまま残されていた。







原田さんが集落の奥で車を停められた。
そこは、原田さんが屋根にブルーシートを掛けたばかりの被災家屋だった。
この状態でも判定は半壊とのことだったが、中に入ってみると、とても住める状態ではなかった。
下に敷かれたブルーシートの中は、置き場のない家財道具だった。
その横では高齢の男性が、食器などの小物類を捨てるものと残すものに選別されていた。
どれも想い出の品なのか、ただ茫然と眺めるだけで、作業がいっこうに進んでいるようには見えなかった。
その様子は撮影する気持ちにはなれなかった。

隣には、地震に耐えた鉄骨の倉庫があり、その前にはテントや台所用品、洗面具、洗濯機、扇風機、蚊取り線香、椅子とテーブルが並べられていた。
そこは、被災後の生活を支えるための仮の住まいとなっていた。




ところどころの被災した家屋の横に白いドームみたいなものがあった。
これは名古屋工業大学の教授が開発した「インスタントハウス」だそうで、中にはエアコンが完備された12畳ほどの広さがあり快適に過ごせるという。
自分の土地を離れず、壊れた家のそばにいたいという気持ちにも沿って喜ばれているそうだ。

次に、原田さんが現在支援に取り組まれているお宅へ向かった。

立派な家だったが、土台がずれているため、こちらは全壊と判定されているそうだ。
奥にその家の方がいらっしゃるとのことで、お話を伺いに向かった。

裏には鉄骨の倉庫があり、原田さんが声を掛けると、2階から荷物用のエレベーターで年配の女性が降りて来られた。
以前はい草農家をされていたそうで、収穫したい草を泥染めにして乾燥させたあと、束にして袋詰めし、湿気の少ない2階の保管庫に上げて保存されていたという。
今は2階の倉庫に壊れた家の家財道具を入れられているそうだ。
先ほどの鉄骨の倉庫を仮住まいにされていた方もい草農家だったのだろう。
88歳の女性はとても朗らかで、笑いながら「お盆がないので」と、タッパをお盆代わりに、ビニールのコップに入れたスポーツドリンクを出してくださった。
「何がどこにあるかわからんとですよ」という言葉と、そのもてなしに、涙が出るほど感激した。
ご主人は地震で右手を怪我されていたが、近くには崩壊した家の下敷きなって亡くなられた方もおられたそうで、「このくらいで済んだから運が良かった」と話された。
住まいは、近くの親戚の家を転々とされているそうだ。
「たらい回しのように」と、笑って付け加えられたことが響いた。
食事については、炊き出しがあり、以前のことか、現在も続いていることかは分からないが、セブンイレブンからも食べ物が提供されていたそうだ。
ただ、脚が弱いため列に並ぶのが遅くなり、受け取れなかったこともあったと伺った。
今後について尋ねると、昔からここで暮らしてきたので他所には行きたくなく、現在の家を壊して、夫婦二人で住めるだけの小さな家を建てるつもりだと話された。
そんな話を笑顔でされながら、「また来てくださいね」と見送ってくださった。
いつまでもその視線を背中に感じながら、私たちはその場を後にした。

竜北グラウンドは災害ごみの集積場になっているそうだが、分別をしなければ受け入れてもらえないため、その手間が大変だと原田さんが話されていた。
最後に、地元の方お二人にお会いしに向かった。

こちらも鉄骨の倉庫だった。
写真は左から、原田さん、清田さん、現地の活動拠点で被災者支援をされている氷川町在住の南崎さん、地元のいちご農家の林さん。
下城さんは八代で災害支援の打ち合わせに向かわれたため、南崎さんと林さんに、私から今回の趣旨を説明した。
結論としては、自転車でこの地域を走ることを歓迎し全面的に協力されるということだった。
その内容については、区長さんと、いちご部会の部長さんにも伝えてくださるとのことだった。
ただ、年配の方々が多い地域なので、一目で分かるように自転車に旗を立て、例えば「がんばって氷川町」などの言葉を掲げて走れば、喜ばれるのではないかと話された。
いちご農家の林さんから、9月23日に開催の「氷川町梨マラソン大会」が中止になったことを話された。
特産品である梨の収穫期に全国から集まった1500人もの参加者に梨をたくさん食べてもらい、その存在を知ってもらう機会が失われたことが残念だったそうだ。
南崎さんからは、テレビや新聞に報道されるか機会が少なって、忘れられていくことがとても心配と話された。
それに高齢者が多い地域なので、これから元の暮らしに戻れるかという不安も感じられて方が多いと話された。

宮澤崇史さんは2011年、ファルネーゼ・ヴィーニ=ネーリ・ソットーリの選手として活動されていた。
当時、東日本大震災直後に行われたミラノ〜サンレモでは、全日本チャンピオンだった宮澤さんを中心に日の丸が掲げられ、黙とうがささげられ全世界にこのシーンが放送された。

2016年の熊本地震の際にも、宮澤さんは復興の役に立ちたいという思いから、何度も阿蘇のサイクルイベントに参加された。
私は当時、内牧温泉の旅館で仕事をしており、宿も地震で被災して3ヵ月間の休業となった。
その間、メディアの報道も薄れていき、忘れられていくような思いをした記憶がある。
営業を再開しても、本当にお客さんは戻ってきてくれるのだろうかと不安な日が続いた。
そして営業再開の日、全国から集まったラファのサイクリンググループのみなさんが宿泊第一号となった。
その後も自転車乗りの方々が訪れてくれたことで、不安が少しずつ消え、日常が戻ってきたように感じられた。
林さんが話された梨マラソン大会の中止は、「毎年当たり前だった行事が今年はできない」「梨を楽しみに町外から来てくれる人が来ない」という現実を通じて、震災によって日常が変わってしまったことを実感させる出来事だったのだろう。
南崎さんが話されたお年寄りのことも、畑仕事ができない、近所の人と会えなくなる、自宅で暮らせないという変化によって、生活のリズムや生きがいが失われ、老後の楽しみが消えてしまうことへの不安につながっているのだろう。
今回の視察で強く感じたのは、壊れたものを元に戻すことだけが復興ではないということだった。
来年も梨やいちごを作れるのか、家を直してここに住み続けられるのか、そして毎年楽しみにしていた梨マラソンをもう一度開けるのか。
被災した方々の不安は、むしろこれからの暮らしに向けられているように感じた。
私たちサイクリストにできることは、決して大きなことではない。
それでも、自転車でこの町を走り、被災した場所を自分の目で見て、そこに暮らす人の話を聞き、そしてまた訪れることはできる。
だから私たちは、自転車で走ろうと思う。
「頑張ってください」と遠くから声をかけるだけではなく、この土地を訪れ、この土地のものを食べ、人と出会い、ここで起きたことを伝えていく。
宮澤さんの提案のおかげで、10年前に阿蘇で受けたご恩を、今度はここで返したいという思いもある。

11月22日(日)に、宮澤崇史さんと氷川町を走る令和8年熊本地震復興ライド「ペダルでつなぐ氷川町復興ライド」について、以上のように現地の情報を集めながら、下城さんや清田さんをはじめ、いろいろな方と意見交換を重ねてきた。
当初は、一般のサイクリストの皆さんにも参加を呼びかけ、一緒に氷川町を走ることを考えていた。
しかし、話を進めていく中で、一度立ち止まって考えると、私たちにとって氷川町は、普段サイクルガイドをしている阿蘇とは違い、地元の自転車仲間がいるわけでもなく、道路事情や地域の状況を十分に把握している場所でもない。
そのような中で一般募集を行えば、どのくらいの走力がある方なのか、自転車にどの程度慣れている方なのか分からないまま一緒に被災地を走ることになる。
もしそこで事故や怪我などのトラブルが起きれば、「復興を応援したい」と訪れた私たちが、逆に氷川町の皆さんにご迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。
それは、今回のライドの目的とはまったく違うことになる。
そこで第1回となる今回は一般募集を行わず、阿蘇で一緒に活動しているサイクルガイドの仲間や、これまで「阿蘇満喫ライド」をサポートしてくれた皆さんなど、普段から走り方や経験をよく知っているメンバーを中心に開催することにした。
まずは私たち自身が氷川町を走り、道を知り、地域を知り、そして何より、そこに暮らす皆さんの今を知る。
今回を、そんな「最初の一歩」にしたいと思っている。
この復興ライドは、11月22日の一度だけで終わらせるつもりはなく、継続して氷川町を訪れ、その時々の地域の姿を自転車で見つめながら、私たちにできる応援を続けていきたいと考えている。
そして今回の経験をもとに、安全に走れるコースやサポート体制、地域の皆さんに負担をかけない方法を整えたうえで、次回からは一般のサイクリストの皆さんにも参加していただける「復興ライド」へ育てていければと思っている。
11月22日の夜には熊本駅周辺で「交流会」を予定しており、こちらは一般の皆さんにも参加していただけるようにしたいと思っている。
そして翌23日は、清田あづささんによる河内町界隈の「みかん山ライド」の開催、こちらも一般募集を予定しており、いずれも宮澤さんは参加される。
9月15日10時から、熊本地震からの観光需要の回復を目的とした宿泊・旅行代金の割引プログラム「熊本ふっこう応援割」が実施されるので、交流会や翌日のライドを考えている方はその期間に当たるので利用されたらと思う。
22日は、まず私たちが氷川町へ行き、見て、聞いて、走る日。夜は熊本駅周辺に集まって、自転車仲間と交流する時間。
そして23日は、みんなで熊本の秋の風景とみかん山を楽しむアフターライド。「復興ライド」といっても、一度走って終わりではなく、息の長い復興ライドにしていきたいと思っている。
まずは11月22日、その第一歩を氷川町から始めようと思っている。
