コルナゴ部長こと中尾公一さんから最新レポートが届きました✨
鉄道遺構の記憶を辿り、小国の山林を遊び尽くす!
旧国鉄宮原線の廃線跡に眠るアーチ橋やトンネルを、舗装路とグラベルで繋ぎながら巡る38kmの冒険。
五感を刺激する幻想的なトンネル演出や、竹筋コンクリートが物語る歴史の断片が、走りに深みを与えてくれたようです。
新緑のトレイルから地熱の湯けむり、地域の食まで、小国の魅力を余すことなく詰め込んだ極上のグラベルライドの様子を是非ご覧ください🎵
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4月25日、旧国鉄宮原線の廃線跡に残る橋梁遺構を巡るグラベルライドを、「阿蘇満喫ライド」遠征の一環として開催した。案内は、ASOおぐに観光協会(小国町地域おこし協力隊)の上野幸紀君に加え、阿蘇満喫ライド側は私と下城さんの3名体制。集合場所の小国町役場には参加者13名が集まり、廃線跡や橋梁・隧道などの鉄道遺構を、舗装路とグラベルでつなぎながら、小国の里山から小国杉の奥山まで走り抜けた。
集合は10時。少し早めの9時に到着し、自宅で淹れてきたコーヒーを飲みながら、キャンプチェアに座って参加者の到着を待つ。こうした始まる前のひとときが、いつの間にか自分の中でグラベルライドの定番になってきた。グラベルライドをこよなく愛するよしたまさんの影響でもあるが、この優雅な時間の過ごし方がすっかり気に入っている。

小国町役場でのブリーフィングでは、上野君からこの日のコース説明があった。
今回のライドは、距離38km・獲得標高約730m・グラベル率は約20%。ただし枝や木の葉が広がる舗装路は見た目も走り味もほぼグラベルで、前日の雨の影響もあり、ウェットな路面やぬかるみが残っている。落車を避けるためにも無理をせず走ってほしい——そんな注意喚起が印象に残った。
ゴールは小国町役場近くの「黒豚屋」でメンチカツのおやつのあと。解散は15時30分前後の見込みだ。スタート前に役場近くの「ゆうステーション(道の駅小国)」でトイレを済ませ、いよいよ走り出した。

走り出す前に、参加者13名のバイク構成を紹介しておこう。
内訳は、グラベルバイク7名、電動グラベル1名、MTB 2名、E-MTB 2名。そこに、25Cタイヤのロードバイクで挑んだ地元の佐々木さんが1名加わる。佐々木さんは荒れたグラベル区間はさすがに厳しく、区間によっては回り道を選びながら走られていた。
女性の参加は2名。ご主人と一緒にE-MTBで参加された方と、福岡から来られた方は最近手に入れたフルサスのMTBで参戦され、それぞれのペースでコースを楽しまれていた。

私のグラベルバイクには、完成車に付いていたピレリのシントゥラート40Cを2年間履かせていた。ややオンロード寄りの性格のタイヤだが、中央のノブがすり減るにつれ、荒れたグラベルでは他のメンバーについていけない場面が増えてきていた。
そこで先日、阿蘇で開催された試乗会でマルイの安達さんからマキシスのタイヤについて話を聞き、Rambler(ランブラー)の45Cを入手した。オンロード40%、オフロード60%という未舗装路重視の設計だ。

シェイクダウンとして菊鹿方面のグラベルを走ってみると、これまで苦戦していた荒れた路面でも難なく進むことができた。その代わり、タイヤ幅が広がったことでオンロードではやや重さを感じるようになったが、この日のグループライドは、その違いを改めて実感する機会となった。

旧国鉄宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から、熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までの26.6kmを結んでいた路線だ。35年という工期をかけて1954(昭和29)年に開通し、通勤・通学や木材などの搬送に使われたが、利用者の減少などを理由に1984年に全線が廃止された。

山間部を通るため、線路には多くのトンネルや橋が造られた。なかでも小国町には、1937(昭和12)年〜1939(昭和14)年ごろに架けられたコンクリートアーチ橋が7基、登録有形文化財としていまも点在している。これらの一部は、第二次世界大戦期の鉄材不足を背景に、当時の「鉄筋節約」という国策に応じた無筋コンクリート造であり、鉄ではなく竹を編んで骨組みを作り、そこにコンクリートを塗り固めていく竹筋コンクリートだと言われている。

ゆうステーションを出て250mほどで、旧国鉄宮原線跡のグラベルが始まる。途中にはトンネルが2ヵ所と橋梁が1基あり、北里柴三郎記念館までの4kmのグラベルになる。
ここはウォーキングコースになっているため歩行者には十分注意したい。草刈りが行き届いていて一年を通して気持ちよく走れる反面、マナーを欠けば、いずれ自転車の通行が制限される可能性もある。すれ違い時の減速や声かけ、路面を荒らさない走り方を心掛けなければならない。

前日が雨だったぶん、新緑はいっそう鮮やかに映えていた。路面の草は水を含み、まるでビロードの絨毯の上を走っているようだ。谷間に響くウグイスの鳴き声、甘い香りが漂ってきそうな、紫の穂を垂れて咲く藤の花――走り出してわずか5分で、小国の奥山の空気にすっかり心を掴まれていた。

やがて宮原トンネルの入口が見えてきた。延長は248m。路面にはこぶし大の石がゴロゴロと転がっていて難易度は高い。さらにこの日は、上野君が木魂館から特別に許可を得て、トンネル壁面に「当時の駅や線路からの風景」を再現した映像を、数カ所で見られるという。演出を活かすため、入口の照明スイッチは点けずに進むことになった。ライトは各自最強の明るさに設定。

上野君がトンネル内で演出の準備をしているあいだ、奥から「ブーン……」という音が聞こえてきた。発電機のような低い唸りが暗闇に反響して、なぜだか少し不気味だ。ただものではない予感もしてきた。やがて上野君が戻ってきて、いよいよトンネルへ走り出した。

壁面には小型スクリーンのようなものがあり、確かに何かがぼんやり映っているがよく見えない。トンネル内もカメラで捉えたほど明るくはない。ライトが照らすところだけが切り取られる暗闇は、まるで映画館そのものだった。さらに厄介なのが、浮き石がホイールに当たって「カン、カン」と響く金属音、それに驚く声がトンネル内に反響。視線を逸らして映像を追う余裕はあまりなく、足元と前輪に神経を集中させるしかなかった。

列車が走る線路の音がトンネルに響く——そんな248mだった。どういう仕組みで映像を投影しているのか、あの不気味な音を出すのはスピーカーなのか、その電源は・・・頭の中は疑問だらけで、結局よく分からないまま出口へ転がり出た。
しかし、特別な体験であったことは間違いない。押し歩きでじっくり見ながら参加者もいたが、それが正解だったのかも知れない。そこで、上野君が歩いて下見をしたときの写真と動画があるので一部紹介しよう。

肥後小国駅を背景にした家族写真、お母さんのパーマは当時を思い出す。
それに私もいつも野球帽だった。

ディーゼル機関車か

車内のベンチシートに座るスーツ姿のお父さんと子供たち

蒸気機関車は走る廣平橋梁か、1937(昭和13)年に造られた橋長80mのコンクリート造9連アーチ橋。この日、下から眺めて写真も撮った。それにこの線路跡を走ったというこれを見ればすごい体験をしたものだ。
上野君が下見の際に照明を付けて明るくなった宮原トンネル。
トンネルから聞こえていたのは蒸気機関車の音だった。映写されていた写真は、スクリーンからはみ出したうえに不明瞭だが、それが「トンネル博物館」的な演出にもなった。これは小国町民でさえ知られていないというから貴重な体験だった。準備してもらった上野君には感謝しかない。

トンネルを抜けたところでいったん停まり、全員が揃うのを待ってから再スタート。そこから先は、Made in Oguniのビロードの絨毯——水を含んだ草がやわらかいあの路面がまた戻ってくる。さっきまでの緊張がほどけて、長閑な時間の再来だ。

旧国鉄宮原線の最初の橋梁は、アーチのかたちが美しい幸野川橋梁だ。1939(昭和14)年ごろに造られた、橋長116mのコンクリート造6連アーチ橋である。当時は鉄材不足の時代で、建設時に竹筋を目撃したという証言も残る。非破壊検査やコンクリートコア調査では竹筋そのものは確認されていないものの、橋梁から採取したコアに竹片が含まれていたことが、目視で確認されているという。

見晴らしがよく、気持ちのいい風が橋の上を吹き抜ける。足元を覗くと澄んだ川が流れていて、幸野川橋梁という名前からてっきり「幸野川」だと思っていたら、どうやら川の名は「縦木川」らしい。こういう小さな食い違いも、遺構巡りの面白さだ。

宮原線の二つ目のトンネル、北里トンネルを過ぎてしばらく行くとグラベル区間の終わりが「北里柴三郎記念館」。まだ訪ねたことがない人は、北里柴三郎の生い立ちをたどる映像がとても分かりやすく、千円札の肖像に選ばれた理由も腑に落ちるはずだ。隣接して生家も残っていて、部屋から望む「小国富士」こと涌蓋山の眺めが素晴らしい。

すぐ近くでは、御衣黄桜(ギョイコウザクラ)という緑色の桜が咲いていた。淡い緑の花びらに赤い筋が入る姿はどこか不思議で、季節を感じる寄り道スポットとしてルートに組み込まれているのも、小国の情報に詳しい上野君らしい。こうした一つひとつが、ライドの印象をいっそう深くしてくれる。

御衣黄桜を過ぎて北里駅跡へ向かう区間で、遊歩道になっているのが北里橋梁だ。駅の西側で県道318号(北里宮原線)を跨ぐこの橋は、1938(昭和13)年ごろに造られた。橋長60mのコンクリート造5連アーチ橋で、現在は歩道橋として活用されており、車でも気軽に立ち寄れる。

遊歩道の最終地点にあるのが北里駅跡だ。現在は北里駅跡公園として整備され、ホームに加えて、ホームへ続くトンネルや階段、駅名標なども残り、往時を偲ぶことができる。敷地内には産地直売所「北里森のキオスク」もあり、ひと息つける立ち寄りポイントになっている。

387号から北里川沿いの道を走り、「ホタル温泉の里」に到着。ここからは汐井川橋梁を眺めることができる。

387号から北里川沿いの道を走り、「ホタル温泉の里」に到着。ここからは汐井川橋梁を眺めることができる。汐井川橋梁は1938(昭和13)年頃に造られた、橋長36mのコンクリート造3連アーチ橋だ。橋の下を流れる小川にはホタルの群生地を示す看板があり、かつては黄昏時に舞うホタルの光と、列車の車内灯が重なり合う幻想的な光景が広がっていたはずだ。きっと、その美しい瞬間を収めた写真も残されているに違いない。

硫黄の匂いがすると思っていたら道向かいにあるホタル温泉の里の排水は北里川に流れていた。その先にある橋梁が堂山橋梁。1938(昭和13)年頃に造られた橋長36mのコンクリート造3連アーチ橋だ。

ここから387号へ出るが交通量が多いため、広めの歩道を走るほうが安全だ。
途中、右側の未舗装路を少し進んだところにある堀田橋梁に立ち寄った。
この橋は1938(昭和13)年頃に造られた、橋長46mのコンクリート造4連アーチ橋である。杉林の中にあり、残念ながら全体を見渡すことはできなかった。
さらに387号沿い、パン屋「Danke」の北側には、1937(昭和12)年築の橋長136m、コンクリート造11連アーチの菅迫橋梁(すげのさこきょうりょう)がある。橋の長さ、高さともに旧国鉄宮原線の橋梁の中で最大とされるという。
しかし現在は藪に覆われており近づくことはできないそうで少々残念だ。調べてみると、その姿を収めたYouTube動画があったので紹介しよう。

387号からわいた温泉郷方面へ、ファームロードではない旧道に入る。
この道は宮原線の路跡に沿っているものの、一段高い位置にあるため、その姿を直接見ることはできなかった。しばらく走ると、人気のパン屋「そらいろのたね」に出る。ここから先は何度も走っている馴染みの道だ。そのまま、わいた温泉郷にある6つの湯処のひとつ、「岳の湯」へと向かった。

久し振りの湯けむりが懐かしい「蒸鶏工房白地商店」の前に到着。蒸鶏料理が美味しいが、この日店は閉まっており、予約だけで営業されているようだ。

90度以上の蒸気が噴き出している窯がいくつもあるが、これは集落専用で観光客は「湯けむり茶屋」などの施設で地獄蒸し料理が食べられる。

ここは、日本で初めて住民全30戸が出資し、地域のために立ち上げられた発電所がある場所である。岳の湯地区では、全30世帯が役員となって2011年に合同会社「わいた会」を設立し、住民主体で地熱発電事業を行っている。一見のんびりとした集落に見えるが、実に素晴らしい取り組みだ。

湯けむりが立ちのぼる集落の中を走る。ここは日本でも珍しい、「湯けむりの道」だ。
さて、この先の道には驚かされた。いつもは集落を抜けてそのまま道なりに進むのだが、田んぼの脇に一本の道が延びている。これが長い下りのグラベルだ。
視界は開けており安心して走れるものの、田んぼから水が流れ出し段差があったり、浮石が転がっていたりと、油断はできない。写真がないのが残念だが、間違いなく今日一番のグラベルだった。そして、ここで新たなタイヤのランブラーの走行感を試す機会になった。結論は安定した走りでグラベルとの喰いつきがよく、幅広になった45Cの選択は正解だった。

昼食へ向かう途中、グラベルに入った。少し進むと、そこには今日最後となる橋梁が現れた。

1937(昭和13)年に造られた、橋長80mのコンクリート造9連アーチ橋・廣平橋梁だ。
これを含む7基の橋梁は、2004年に国の登録有形文化財に登録されている。
橋梁の線路跡を走り、そのまま終わりかと思ったが、引き返す途中で橋の下へと降りる道に入った。これがV字に曲がる激坂の荒れた下りで、タイヤがロックしないよう、恐る恐るブレーキをかけながら下っていった。

9連のアーチが美しく、今日いちばんの眺めだった。

こんな景色の中を走れるからか、みんな自然と笑顔になっていた。
ところが、さらに先へ進めるのかと思いきや、「さっき下った道をもう一度上る」とのこと。思わず「えーっ」と声が上がる。
それでも次の瞬間には、また我先にと笑顔で上りに向かっていく。やっぱりみんなグラベル好きなのだ。私はというと、新しいタイヤになったことをすっかり忘れて、ノブのないタイヤなので、こうした路面では滑ってしまい上れない。今までの習慣でいちばん後ろから登り始めた。
最初に登り始めたのは、撮影を担当するMTBの上野君。続いてMTBや電動バイクのメンバーが、安定した走りで次々と上っていく。そして私の番。これまではこの手の登りではタイヤが空転し、押し歩きになるのが常だった。
ところが今回は違った。路面をしっかり捉え、グイグイと登っていくことができたのだ。やはりタイヤ次第で、グラベルの走破性は大きく変わる。「どこを走るか」を考えたとき、このタイヤは自分にとって正解だった——そう実感した瞬間だった。

長い山道を下り、ようやく舗装路に出たと思ったその先にあったのが、昼食場所のNISHIZATO TERAS(ニシザトテラス)だった。ここにつながるのか――と思わず感心してしまう。この日のコースの素晴らしさに、何度目かの驚きを覚えた瞬間だった。

NISHIZATO TERASは、旧西里小学校を改修した施設で、サテライトオフィスやコワーキングスペースとして活用され、地域の交流の場としての役割も担っている。キッチンスペースは家庭科室を利用しており、土日のみ営業。メニューにはいずれも塩麴が使われているのが特徴だ。

料理が出来上がるまでの間は、前菜のような家庭料理、5種類ほどのおばんざいをバイキング形式で自由に取り分けることができる。

どれも美味しいだけでなく、どこかほっとする優しい味わいで、小国町の食材を塩麴で丁寧に引き立てたものだった。

予約していたこともあり、落ち着いたメインホールでゆっくりと食事を楽しむことができた。思わず長居したくなるような、居心地のよい空間だった。

私が選んだのは塩麴ハンバーグ。ふっくらとした食感に、口の中に広がるジューシーな肉汁、そして奥行きのある塩麴ソースの味わいが絶妙で、思わず贅沢な気分になる一皿だった。ごはんと野菜スープが付いて1500円。次回の小国ライドでも、ぜひ立ち寄りたいと思える味だった。

大満足のNISHIZATO TERASで、気がつけば1時間以上ゆっくりと過ごしていた。これもまたグラベルライドの楽しみのひとつだろう。

帰路にはいくつかのグラベルや、少し長めの上りも待っていたが、不思議と疲れは感じない。気づけばメンバーとも打ち解け、まるで昔からの仲間のような雰囲気に。名残を惜しむように、それぞれのペースで残りの道のりを楽しんでいた。

最後のサプライズは、行きに通った宮原線のルートを途中から再び走れたことだった。絶妙に計算されたルートで、グラベルライドに最適な道を「おかわり」できる楽しさまで用意されていた。

そして締めくくりは、黒豚屋のメンチカツと国産有機生姜のジンジャーエールで乾杯。最後まで粋な演出に、思わず笑みがこぼれる。
今回のコースは、福岡から移住してきたMTB・シクロクロス経験豊富な上野君と、小国町在住で建設業に携わり山道に精通した本田さんのアドバイスによって組み立てられたものだ。まさに1ミリも無駄のない、完成度の高いルートだった。

さらに驚いたのは、ライド後に本田さんの自宅でバイクを洗車させてもらえたこと。泥だらけという勲章を家まで持ち帰らずに済む、なんともありがたい気配りだ。
最後の最後まで行き届いたこの一日。走ることの楽しさだけでなく、人とのつながりの温かさも深く心に残るライドとなった。

今回のライドは、美しい風景や歴史的な遺構だけでなく、地域に根ざした取り組みや、人と人とのつながり、そして道具によって変わる走りの面白さを改めて感じさせてくれるものだった。同じ道でも、仲間と走ることで楽しさは何倍にもなり、一つひとつの出来事が強く印象に残る。グラベルライドは、ただ速く走るだけではない。どんな道を選び、どんな時間を過ごすのか、そのすべてが体験になるのだ。
そう実感した一日だった。
